「うつ病と向き合うのやめてみた」
7年間続いた闘病生活
うつ夫は20代でうつ病を発症し、その後およそ7年間ほど闘病生活を送っていた。
パニコがうつ夫と出会ったのは、その闘病生活の真っ最中であった。その頃のうつ夫は、気分の起伏が激しく何日も寝込んでしまうこともあり、多種類の薬も服用していた。
当時はその浮き沈みの中で、その日その日をただ一生懸命過ごしていたように思う。今のように落ち着いた日々が来ることなど、考える余裕もなかったのだ(汗)
しかし、少しずつうつ夫の症状は回復し、今こうしてうつ病を卒業することができた。
今回のお話は、うつ夫が語る「闘病中の心の変化」についてである。
そして、この心の変化が、うつ病克服にための鍵になったのかもしれないので、ここに書き留めておこうと思う。
うつ病が治るきっかけは、心の在り方が変わったから!?
うつ病の症状がひどかった頃、うつ夫は「なんとかうつ病を治したい!」と思っていたと言う。
うつ病になる前の元気だった自分と比べて、思うようにならない自分を責めていた。そして、うつ病を克服し昔のように活動できる自分になろうと抗っていたのだ。
病気になれば、誰もがそんな心境になってしまうのも、無理はないことだろう(汗)
病気は、考えようによっては「自分と向き合う」チャンスでもある。今まで目をそらしてきたことに対して、一度立ち止まって考えてみるきっかけを与えてくれる。
しかし、「向き合ってばかり」いると、それは次第に力みとなり、現状への反発を生んでしまうこともあるのだ。
「治したい」と思うほど、自分のマイナス部分にばかり目が向き、ダメな自分に反発してしまう。
なんでできない?どうして治らない?
そんな反発は、さらに自分を苦しめてしまうのである(汗)
ある時うつ夫は、「向き合う」のをやめてみようと思ったのだそうだ。治そうと抗うのをやめ、「治らなくても、今より少し良くなればいい。」そんな風に思うようになった。
今思えばこれが、過去に向いていた意識が未来に向き始めた瞬間だったのかもしれない。
そして、この心の在り方の変化が、うつ病を回復に向かわせる鍵となったのだ。
「向き合う」のではなく「つき合う」という考え方
この心の変化をきっかけに、うつ夫は、うつ病と「向き合う」のではなく「つき合う」ようになっていった。
「向き合う」ことは悪いことではないが、向き合ってばかりでは反発を生み戦いになってしまう。その点「つき合う」ことは、共に目指す方向に進んでいくことができる。
「うつ病とつき合う」なんて不思議に思う人もいるかもしれないが、もし絵で描くとしたら、こんな感じだろうか。↓
「うつ夫とうつ病うっつー君」
きっと、こんな感じだ(笑)
うつ病と向き合って(戦って)いる時は、うつ病を受け入れられない状態だ。しかし、うつ病を受け入れると「つき合う」ことが可能になる。
つまり、病気を受容できるかどうかが肝心なのだろう。
柔よく剛を制す!
よく耳にする言葉に「柔よく剛を制す」という言葉がある。
これは、「柔軟性のあるものが、かえって硬く強いものに勝る」という意味の故事成語であり、『三略』という兵法書に由来する言葉だそうだ。
柔道や剣道などの戦いではイメージしやすい言葉であるが、きっとこれは、うつ病においても成り立つ言葉なのだろう。
力任せに戦おうとするのではなく、相手を知り一旦受け入れることで、その力を巧みに吸収し、相手の攻撃をかわすことができるのである。
うつ病に対しても、向き合ってばかりではなく「つき合う」という考えを持つことで、うつ夫の中に「柔」の力が生まれていったのだろう。
その結果、いつの間にかうつ病を克服できたのだ。本当に不思議なものである。
夫婦関係にも同じことが言える
そして、パニコが思うのは、この「つき合う」という考え方は夫婦関係においても同じであるということだ。
もちろん、夫婦関係に留まらず、親子や友人関係など、人と人の関係性ならすべてに当てはまると思う。
お互いに向き合っている時は、反発し合ってしまうものだ。そして、反発は反発を生み、膠着状態に陥る(汗)
しかし、互いに同じゴールの方向を見ることで、共に歩き出すことができる。同じ方向に進むことができる時、はじめて「つき合う」という関係性が成立するのだ。
だから、夫婦関係やその他人間関係が上手くいかないなと感じたら、自分の心の在り方を見直す必要があると思っている。
押しつけや反発の心ではなく、「柔」の心に切り替える。
簡単なことではないが、それだけで不思議とスムーズになっていくのだ。そして何より、自分自身が楽になる。
「向き合う」のではなく「つき合う」という考え方。これもまた、うつ病が教えてくれた大切な考え方なのである。