「年々好きに。」
つき合いはじめて10年記念日
私事なのだが、本日はうつ夫とパニコのつき合って10年記念日だった。
つき合った日を記念日にしている夫婦はあまりいないかもしれないが、我が家ではこの日をちょっとした節目と考えている。
ちょうど10年前の今日、うつ夫とパニコは共に歩み始めたのだった。
そして、今結婚して5年になる。この機会に、改めて「結婚」というものについて考えてみたので、今日はそのことについて書きたいと思う。
結婚した理由はおもしろそうだったから。
うつ夫とパニコが出会ったのは、まだうつ夫が闘病中だった頃である。
そのため、つき合っていた頃は毎日一喜一憂しながら、不安定な日々を必死に過ごしていたという感じだ。
今思えばただのお節介だが、パニコは当初うつ夫の力になりたい、と思っていた。しかし、パニコ自身もとても不安定だったし(汗)、はじめてうつ病というものを知り、そんなにスムーズにはいかないことも体験したのだった。
それでも、うつ夫と結婚しようと思ったのは、うつ夫に他の人とは違う何かを感じていたからだろう。それは、この人がすごく好きとか、この人が運命の人という感じとは少し違っている。「この人といたら変われそう、成長できそう」そんな感覚を直感的に感じていたからかもしれない。
うつ夫に「どうしてパニコと結婚したの?」と聞いてみた。
すると、こんな返事が返ってきた。
「おもしろそうだったから。」
本来ならもう少しロマンティックな回答を望むところだが(笑)、この意味は分からなくもない。うつ夫が言いたいのは「滑稽だ」とか「可笑しい」という意味では無く、「興味深い」「魅力的だ」ということだと思う。
多分私たちは、お互いに自分には無い何か新しいものを求めていたのかもしれない。だからこそ結婚という選択をしたのだろう。
夫婦は分かり合うべき、助け合うべきという思い込み
もちろん結婚してからも、うつ夫とパニコはぶつかること、すれ違うことが多々あった。
それは、うつ病や不安障害という精神的疾患による不安定さも背景にはあるが、もともとの価値観の違いに起因することが大きかっただろう。
特にパニコを縛っていたのが、「夫婦とはお互いに分かり合うべきだ」「助け合うべきだ」という思い込みだった。
せっかく一緒にいるのだから、お互いのことを知り、支え合える関係でありたい、そう思っていた。
しかし、そのせいでパニコは自分のことより、うつ夫のことを優先してしまうことが度々あった。また、ことある度に、なぜ分かり合おうとしないのかうつ夫に対して腹立たしく感じることもあった。
結婚当初はこのようなことで、よくぶつかり合いになっていたものだ(汗)
でも、今振り返ってみれば、当時のパニコの「分かり合う」「助け合う」は少々意味をはき違えていた。当時のパニコにとって、「分かり合う」「助け合う」は相手と同調することだったのだ。
しかし、同調してしまっては自分が無くなってしまう。たとえ夫婦であっても元は他人。価値観が違うのは当然だし、完全に一致することなどあり得ないのだ。
夫婦とは価値観の違いを認め合うこと
結婚して5年が経ち、今思うのは「夫婦とは価値観の違いを認め合うこと」なのかもしれないと思うようになった。
そう思えるようになったのは、この数年間で心というものについて考える機会をもらえたからだろう。そして、うつ夫とも何度も話をしてきた。
夫婦は一緒にいるけれど、だからと言って同調する必要は全くないのだ。
「分かり合う」ということは、相手の意見を受け入れることではなく、価値観の差異を認めるということだ。
価値観が違うことを認め合えているからこそ、一緒にいることができる。価値観が違うからこそ、違う目線で物事を考え、お互い視野を広げられる。
だから、結婚はおもしろいのだろう。
年々、好きになっていく。
冒頭の四コマは少々おのろけ漫画になってしまったが(笑)、うつ夫が言ってくれた一言が嬉しかったので、描かせてもらった。
結婚してからも、年々好きになっていく。
自分で言うのも何だが、それってなんかいいなぁとつくづく感じた。
パニコも、結婚前よりも今の方がうつ夫のことを好きになっている。
いまのところ、良い関係を築けているという証拠だろうか。
このような良い夫婦関係を築けてこれたのは、やはり、お互い心の病を患い、心について考える時間を十分に持てたお陰だろう。
もし、心について考えることをしていなかったら、いつもただの夫婦げんかで終わり、ずっと価値観のぶつけ合いをしていたかもしれない。
そう思うと、うつ病やパニック障害を患って良かったなとも感じるのだ。
この先、まだまだ何があるかは分からない。
今は子供はいないが、もし子供がいたらまた考え方も変わってくるだろうし、60歳を越えたら違う世界が見えているだろう。
でも、その都度、何となくやり過ごすのではなく、自分自身の成長につなげていきたいものだ。じいさん、ばあさんになって身体は衰えていっても、心はどんどん柔らかく自由になっていけたら幸いだ。