「名前で呼ぶ」
ギスギスだった家族の関係性が変化した
今回の話は、うつ病闘病後の話である。
前回、「闘病中は周りからの理解を得るのが難しかった」という話をしたが、正直家族との関係はギスギスしてしまっていたのが事実である。
闘病中は、うつ夫自身も不安定なうえに、家族もその対応に戸惑うことが多かった。そのため、ちょっとした言葉や態度が原因で、家族とぶつかり合うことが多々あったのだ(汗)パニコも、その話はうつ夫から度々聞かされていた。
しかし、それはうつ夫の家族が悪いのではなく、それだけうつ病というものが理解しにくい病気なのだということだ。
詳しくは前回の記事へ ↓ ↓ ↓
しかし、話はそれで終わりではない。それを乗り越えた結果、家族の関係性は大きく変化し、今やとても良い関係を築けているのだ。
今回はこれについて記しておきたい。
心に刷り込まれた上下関係の構図
うつ夫には、少し年の離れた姉(ゆい(仮))と前回も登場した兄(そう太(仮))がいる。すなわち、うつ夫は末っ子だ。
そのため、子供の頃から、いちばん家族の中で甘えられる存在である反面、常に上からものを言われる(と感じる)存在でもあった。
うつ夫の中で、「自分は家族の中で一番下」という思いが刷り込まれていたのである。
今思えばこの思い込みが、潜在的に大きく働き、関係をこじらせる原因になっていたのかもしれない。
心に刷り込まれた上下関係の構図の中で、いつもうつ夫は、家族に甘えてしまう自分に歯がゆさを感じていた。特にうつ病中は、働きたくても働けず、家族の世話になっているという思いが余計にうつ夫を苦しめていたのである。
また、家族から受けるアドバイスも、いつも自分ばかり上から言われているようで、不快さを感じるようにもなっていった。
こうして、潜在的な上下関係の構図の中で、だんだん居心地が悪くなってしまっていたのである。
家族を名前で呼ぶようにした
うつ夫自身もどうしていいか分からず、家族との関係性に悩んでいた頃、ネットで検索して見つけたのが、「家族を名前で呼び合う」というものだった。
一か八か、うつ夫はこれを実践してみることにしたのだ。
ちょうどパニコと結婚が決まった頃である。うつ夫は父親を呼び出し、はじめて二人で飲みに行った。そして、「肩書きではなく、名前で呼んでもいい?」と相談したのだった。
この時うつ夫は、それまでほとんど話をすることが無かった父親に、胸に抱え込んだ思いを伝えたのだった。父もまた、うつ夫の思いをを受け入れてくれたのである。
これをきっかけに、うつ夫は家族のことを名前で呼ぶようになったのだ。
父親のことは、「父さん」ではなく「ゆきちさん(仮)」、母は「さち子さん(仮)」、姉は「ゆいさん(仮)」兄のことは「そう太(仮)」という具合だ。
ちょっとした違いなのだが、これがうつ夫にとっても、家族にとっても、良い方向に働いたのだった。
「役割」ではなく「人対人」で接する
父や兄など役割で呼び合うことは、双方の関係性を築くために大切である。しかし、それだけになってしまうと、知らず知らず対等な関係性が失われてしまうこともあるのだ。
これは、家族に限ったことではない。上司・部下、先輩・後輩、店員・お客など、日常社会の様々な場面で遭遇する。
逆に、名前で呼ぶということは、その人を一人の人間として捉えることになる。
役割だけにとらわれず、人対人として接することができるのである。
上の図では、大人だけで考えたが、もし家族の中に子供がいるならば、その子供ももちろん横並びで考えるのが理想だ。大人対子供だって、人対人なのだから。
アドラー心理学で言えば、タテの関係ではなくヨコの関係ということなのだろう。
今では家族関係が良好に!
このように、うつ夫は「名前で呼び合う」ことを実践したお陰で、今ではとても良好な家族関係を保っている。
例えば、うつ夫は父とほとんど会話の無い状態だったが、今ではボウリングや釣りなど、共に趣味を楽しむ関係になったのだった。
そして、うつ夫兄と言えば、以前は頭ごなしに正論を押し付ける感じだったようだが(汗)、今は四コマで描いたように長時間会話をするような仲になった。会話をする中で、うつ夫の話を咀嚼しようと耳を傾けてくれるのだそうだ。
これは、大きな変化だ。
「名前で呼び合う」たったそれだけのことをきっかけに、潜在的に働いていた上下関係のしがらみが解消されていった。それまであった心のわだかまりがスーッと取れて、お互いに心地の良い関係をつくることができたのである。
こうした家族の関係性の変化も、うつ病がくれた贈り物である。
闘病中は確かに大変なのだが(汗)、こうして立ち止まる時間や、在り方を見つめ直すきっかけが無ければ、今のような良い家族関係は築くことができなかったかもしれない。
うつ病を通じて得たものはとても大きいなと、つくづく感じるパニコなのであった。