「灯台の時間」
※「灯台の時間」は藤沢優月さんの『夢をかなえる人の手帳』から引用した言葉です。
闘病中のうつ夫の手帳を発見
先日、部屋の片づけをしていたら面白いものを見つけた。
それは、うつ夫が闘病中のころに愛用していた手帳だ。
当時うつ夫は、認知行動療法の一環として、手帳に自分の思いや行動を書き綴っていたのだった。
そのことはパニコも知っていたが、内容を見せてもらったことは一度も無かったのである。
なので、この機会に手帳の中身をチラッと拝見させてもらったのだが、その使い方がとても興味深かったので、本日はそれについて紹介しようと思う。
うつ夫式!手帳活用術「予定×記録」
うつ夫の当時の手帳をめくると、そこには、枠の中だけではなく、余白をも埋め尽くすほど、たくさんの記録が書き残されていた。
一般的に手帳といえば、「今後の予定を書き込みスケジュール管理する」ためのものだろう。
しかし、うつ夫の手帳には、予定だけでなく日々の記録もぎっしり書き込まれていたのだ。
うつ夫が書き込んでいたのは、大きく分けて次のような内容である。
- 今後の予定(スケジュール管理)
- 行動記録(起床から就寝まで時間軸で日々の行動を記録)
- 一言日記(考えたことや感じたことを書き出す)
- 気づきの記録(面白い!学んだ!いい言葉!などを記録)
- プチワーク(目標ややりたい事、達成できた事などを書き出す)
つまり、うつ夫の手帳は日記帳やメモ帳も兼ねていたのである。
見た感じちょっと乱雑ではあったが(笑)、一冊にまとめて書き込むのはいいアイディアだなとパニコは感じた。
日記帳やメモ帳など、あれもこれも書こうとすると結局どれも続かなくなってしまうこともあるが、一冊に書き込むことで手間を省け、何より後で自分を振り返りやすくなる。
しかも、スケジュールと気づきや思いが連携しているので、自分の行動や考え方のパターンが見え、自己理解につながりやすいだろう。
当時は頭の中がぐちゃぐちゃだった
うつ夫に、どうしてこれを書こうと思ったのか聞いてみた。
するとこんな返事が返ってきた。
「当時、頭の中がぐちゃぐちゃで、自分でも何を考えているのかわからなかったんだ。それで、とにかく書き出そうと思ったんだよ。」
うつ病の闘病中だったころ、うつ夫は自分のことが良く分からなくなってしまっていたと言う。
自分は何をしたいのか、どうすればいいのか。
過去の経験や周りの声などに囚われるほど、余計に頭の中がぐちゃぐちゃになり、本当の自分の気持ちがかき消されてしまっていた。
そんな時、「書き出す」という作業が頭の中の整理になったらしい。
特に、当時はうつ症状があり、自分のできないことばかりに目が向いてしまっていた。
しかし、書き出すことで、そんな思考の偏りにも少しずつ気づけるようになっていったという。
『夢をかなえる人のための手帳』
先ほど紹介した手帳の使い方は、うつ夫独自のものであるが、うつ夫が当時使っていた手帳は藤沢優月さんによる『夢をかなえる人のための手帳』というものである。
この手帳自体も、「自己対話」を誘導してくれる作りになっているので、自分を変えたい、成長したいと思っている人におすすめだ。
通称『夢かな手帳』の良いところは、毎月「自己対話」のためのコラムとワークがあることだ。
「自己対話」は「自己理解」のために欠かせないのだが、慣れていないと自分でおこなうのは難しい。その「自己対話」の仕方や考え方を分かりやすく伝えてくれている。
ビジネスセミナーや心理学などでもきっと似たようなワークがあるだろうが、何と言っても『夢かな手帳』では親しみやすい表現で誘導してくれるので初心者にも分かりやすい。
うつ夫とパニコも、またこのコラムが読みたくなって、さっそく2020年版の『夢かな手帳』を注文してみた。届くのが楽しみだ。
「灯台の時間」を習慣に。
冒頭の四コマでも描いたのだが、藤沢優月さんの言葉に「灯台の時間」というものがある。
「灯台の時間」とは、「自分を見つめる時間」のこと。つまり「自己対話」である。
どうしても社会の中で生きていると、自分の外側からたくさんの情報が入ってくる。そうした外側の情報には意識が向きやすいが、自分の内側の情報はないがしろにされやすいものだ。
それを放置してしまうことが、きっとストレスの蓄積に繋がってしまうのだろう。
いつも頭の中には情報がごった返していて、自分の気持ちに鈍感。そんな状態が続けば、心と行動の間のギャップは広がるばかりだ。
そうならないためにも、現代人は「灯台の時間」を持つことが必要なのかもしれない。
しかも、「時間があればやろう」ではなく、食事や歯磨きと同レベルで習慣にすることが理想なのだろう。
なぜなら、「自己対話」ができなければ「自己理解」が深まらない訳で、自分を理解していなければ、行きたい方向には行けないのだ。
自分を理解しないまま目標を決めても、それは高すぎてしまったり、的外れだったりするかもしれない。
(現在地を把握しないまま地図を見るようなものだ。)
「自己対話」と「自己理解」、とても難しいことではあるが、常にこれらを心掛けていれたら、きっと迷子になったり、息詰まったりすることもきっと減って行くのだろう。