人生には、色んなことがある。
生きていれば、良いことも悪いこともあるものだ。
晴れの日も、雨の日もあるように。
それなのに、私たち人は、良い時の自分ばかり求めて、不調の時の自分を認めることができない。
「こんなはずじゃなかった…」
「自分はなんて不幸なんだろう…」
と、つい、ダメな自分を否定してしまう。
パニコとうつ夫は、20代で心の病を経験した。
このような経験は、きっと傍から見れば、とても不運な出来事だと感じるだろう。
もちろん、当時は大変なことも多々あった(汗)
しかし、長い雨期とも言えるこの経験は、私たちに多くの恩恵をもたらしてくれたのだ。
雨が大地に恵みを与えてくれるように。
回復した今となっては、「心の病」は、うつ夫とパニコにとって、決して不幸なものではなかった。
むしろ、若いうちにこのような経験をし、自分の「心のあり方」をじっくり見つめる時間を持てたのは、幸運だったとさえ感じている。
きっとこのような経験が無ければ、「心のあり方」という、捉えがたいものについて考えることもしなかっただろう。
そのお陰で、今では、ちょっぴり心が柔らかくなり、自分とつき合いやすくなったなぁ、と感じている。
そして、この経験を通じ、もっとも変わったのは、「ダメな自分を受け入れられるようになった」ことである。
人のいちばんの苦しみは、不調になることではなく、不調の自分を認められないことなのかもしれない。
「こんな自分じゃダメだ。」
「昔みたいにもっと頑張りたい。」
そうやって、抗いもがいている時がもっとも苦しい。
でも、「そんな時もあるさ。」と、不調の自分、ダメな自分を受け入れられた瞬間から、ふっと余計なりきみが抜けて、歯車が回りはじめるものだ。
そんなことを自身の身をもって経験した。
「そんな時もあるさ。」は、決してあきらめではない。
あるがままの自分を受け入れるということである。
そして、人生には多少の浮き沈みがつきものだと、心得ることである。
常に完璧で好調なんて、あり得ないのだ。
浮き沈みを繰り返し、バランスを取っているのが自然の形というものである。
それに、不調の時があるからこそ、人は何かを学び、成長していけるのかもしれない。
だから、晴れの日も、雨の日もあっていい。
どんな自分も受け入れてみよう。
そうすれば、きっと心の緊張がほどけ、心が前に向き始める。
良かった頃の自分に戻るのではなく、新しい未来の自分に向かって前進していくのだ。