子育てゼロ年生。
最近、「子育てのあり方」について、うつ夫と話すことがある。
パニコが妊娠して、もうすぐ「親」という役割が与えられる訳だが、うつ夫もパニコも「子育て」に関してはゼロ年生だ。
今のうちから、「子育て」について考えておくことは、大切かもしれない。
子育ては親自身が育つ
パニコの場合、「子どもを育てる」と思うことは、少しプレッシャーに感じる(汗)
パニコはもともとリーダー性がないし、教えるのも得意ではない。
それに、あまり考えを押し付けたくはないな、と思っている。
もちろん、親として伝えていくべきことはあるかもしれないが、できればフォロワーシップで子供の考えを大切にしながら、成長を見守るくらいのスタンスでいれたらと思うのだ。
その中で、自分自身も、子どもと一緒に考え、学び、成長していけたら、これ幸いだ。
子育ては、子どもを育てるようで、親自身が人として育つものなのかもしれない、今はそんな風に思っている。
そう思う方が、前向きに「子育て」を捉えることができる気がするのだ。
「横並び」の子育て
そして、うつ夫もまた、「横並び」の子育てを理想と考えているようだ。
というのも、「親」と「子」という肩書で考えてしまうと、どうしても上下関係になりやすいからだ。
でも、そうではなくて、「横並び」のポジションで考え、それぞれが、それぞれの成長過程を進んでいく、そんなイメージだ。
下の図は、うつ夫が共有してくれたイメージ図である。
上の図のように、年齢の経験値で考えてしまうと、少し上からの「親」目線で、考えを押し付けがちになってしまう気がする(汗)
でも、それぞれの役割における経験値と思えば、常に「横並び」でいられるのではないだろうか。
親と子が「横並び」で「共に考える」ことを心掛けられたら、子どもの想いをより大切にしてあげられるかもしれない。
親子であっても「人対人」
「親」といっても、少し先に生まれただけであって、ただの役割である。
絶対でも完璧でもないのだ。
それに、時代とともに常識や価値観も変わっていくのだから、きっと子供と一緒に考えることは、たくさんの学びをもたらしてくれるはずだ。
親子であっても「人対人」。
親だから。子どもだから。
そういった肩書きにとらわれ過ぎず、人として、それぞれの持つ個性や考え方を共有し合い、共に成長できる、そんな関係づくりができたらいいな、そんな風に思う。
もちろん、これは理想の話であって、子育てが始まったら、きっとてんやわんやで、それどころでは無くなってしまうかもしれない(汗)
でも!
だからこそ、今のうちから考え、夫婦でたくさん話し合っておきたいなと思うのだ。