うつ夫とパニコの人生いろいろ

これは過去にうつ病になった夫とパニック障害になった妻の物語。ゆる~い四コマ漫画とともに人生いろいろな日々をお届けします。

お客の時こそ「人対人」で接したい!「ありがとう」の心掛け。

前々回の記事で、「人対人」の子育てをしたい!という、親子のあり方についての理想を語ったのだが、今回は「お客と店員」のあり方についてちょっと思うことがあるので、それについて書こうと思う。 

www.utsupani.com

 

 「お客」は「店員」より優位な立場?

「お客と店員」と言えば、ざっくり言うと「もてなされる側」「もてなす側」という役割と言える。

店側としては、お客様はお金を払ってくれる存在であり、まさに「お客様は神様だ」と言う言葉もあるくらい大切な存在だ。

 

しかし、「客」「店員」という肩書ばかりに囚われてしまうと、これまた「人対人」という根底にある大切な部分を、忘れがちになってしまう気がする(汗)

 

実際に、自分が「客」という立場になると、何となく気が大きくなってしまうことがある。

潜在的にであれ、「お客は、もてなされてあたり前」という優位性を、どこかで感じているように思うのだ。

 

でも、本来であれば、「人対人」。対等であるはずなのだ。

 

だからこそ、肩書きに囚われず「人対人」の精神を常に忘れたくない!と思っている。

 

 

2通りの「お客様」

そう思うようになったのは、パニコが自営で仕事をするようになって、様々なお客様と接する機会があったからだ。

 

様々な方たちと接する中で、お客様には2通りのタイプが居ると気づいた。

 

一方は、「お客さ様はもてなされるべき」「店員はもてなすのが当たり前」と思っている方。(もちろん潜在的にであるが。)いわゆる、自称「お客様」タイプだ(汗)

 

もう一方は、常に「人対人」で接してくれる方。

 

前者の場合、満足なもてなしを提供しなければ、トラブルやクレームに発展する可能性が高い。言葉を選ばなければ、ちょっと「上から目線」とも言える(汗)

 

後者の場合は、店員に対しても他のお客様に対しても、常に対等であり、自律されてる。

そして何より、店側への配慮や心遣いを感じるのだ。

 

中には、相手を認めているかどうかで対応を変える人もいるのだろうが、やはり、後者の常に「人対人」で接してくれる方は、とても気持ちがいいし、より良いサービスを提供したいと思える。

 

それに、自分がお客の立場の時に、「人対人」で接していた方が、案外良いサービスを受けられたりすることもある。

「人対人」の心は、win×winな関係をつくり、お互いに気持ちよく過ごさせてくれる、そんな気がするのだ。

 

もちろん、もてなす側はお客様を満足させられるように努めるのは当然のことだが、やはり、人間なのでいつも完璧にとはいかない(汗)

 

やはり、店員であっても「人」だし、お客様も神様ではなく「人」なのだ。

 

このような経験から、パニコも、「人対人」精神の方々から学び、自分がお客である時こそ、「人対人」で接したいと思うようになったのである。

 

 

「ありがとう」の心掛け。

例えば、身近なところで言うと、コンビニやスーパーなどで「いらっしゃいませ~」と言われても、何となくスルーしてしまうことが以前はあった。

おそらく、どこかで「そういうもんだ」と、あたり前のセリフに感じていたのだろう。

 

でも、「人対人」で考えたら、それってとてもおかしな話である(汗)

だって、挨拶を完全に無視してしまっているのだから。

 

かといって、元気に挨拶を返すのもちょっと気が引けるので(笑)、軽く会釈をするくらいのことはしたいなと思っている。

 

また、店員だから「してもらう」のは当然ではなく、してくれたことへの感謝はちゃんと示したいなと思うのだ。

そんなところから、レジなどで何か購入した際には、「売ってくれてありがとう」の気持ちと「お仕事ご苦労様」の気持ちを込めて、「ありがとう」を伝える心がけをしている。

 

パニコは人見知りなので、大したことはできないが、ほんの一瞬でも、目を見て、笑顔で、「ありがとう。」それだけである。

 

しかし、そんなちょっとしたことでも、それまで機械的に業務をしていた店員さんとも、ふと目が合い、笑顔になってくれることがある。

f:id:utsupani:20200719103402j:plain

(パニコの思い過ごしかも知れないが)「人対人」として心が通い合う瞬間に出会えた気がして、そういう時はやはり嬉しいし、ほっこりするものだ。

 

 

常に「人対人」であることを忘れずにいたい。

肩書きは、役割としては大切なものだけど、それに囚われ過ぎてしまうと、大切な部分が抜け落ちてしまうことがある。

 

だからこそ、常に「人対人」であることを忘れずにいたいなと思うのだ。