前々回の記事で、家事参加について思うことを書いたのだが、その際に、少し「相補性」についても触れた。
この「相補的関係」というのは、きっと子育てにおいても同様に、大切なことなんじゃないかと思うので、今回はそのことについて書こうと思う。
「類似性」と「相補性」の法則
人が他人に魅かれるのには、心理学的に次のふたつの法則があると言う。
ひとつは、「類似性の法則」である。
類は友を呼ぶと言うように、自分と同じようなタイプや、似た感性の持ち主には、何となく親近感を覚え、好意を抱くものである。
それに対し、もうひとつ「相補性の法則」というのがあるらしい。
これは、自分には無いものを持っている人に、魅力を感じることを言う。
人は、自分には無い部分を、相手で補おうとするのだそうだ。
もちろん、相手に求めすぎてはいけないけれど、みんな完璧ではないからこそ、相補的な関係を築くことができれば、それは素晴らしいなとパニコは思う。
お互いの得意なところで補い合える関係は、バランスのいい関係と言えるだろう。
子育てにおける父と母の役割
さて、子育てにおいて「父」と「母」という役割が存在するが、これも「相補性の法則」が成り立っているように感じる。
前回もご紹介したのだが、パニコのお気に入りの本『子どもの心のコーチング』(著:菅原裕子)では、「父」と「母」の役割をこんなふうに解説されていた。
「父性」というのは「責任」を、「母性」は「愛」を子どもに教えるのだと。
「責任」とは、少し子と距離を置き、自分で物事を処理する力を学ばせることである。
「愛」とは、あるがままの子どもの存在を認め受け入れ、安心感を与えることである。
この「責任」と「愛」の両方が、子育てにおいて必要不可欠だと、著者の菅原裕子さんは述べている。
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そう考えると、「父性」と「母性」というのは、「相補的な関係」が成り立っているのだと思うのだ。
もちろん、「父性」と「母性」というのは、単に「男性」と「女性」ということではなく、男性でも「母性」が強い人や、女性でも「父性」が強い人もいるだろう。
ただし、子育てには、この両方が必要というのは、とても納得できる話だ。
「責任」ばかり教えても、自己肯定感が育まれにくい気がするし、「愛」だけでは社会性が身に付きにくいように思う。
やはり、ふたつのバランスが大切なのだ。
そういう意味で、「父」と「母」という役割は、補い合う関係なのだろう。
「家族」というコミュニティの役割
また、ひとつ大きな枠組みで考えれば、兄弟や祖父母、また親戚のおじさん、おばさんなども、子育てを補う役割だと思う。
子どもにとって、産まれてはじめて所属するコミュニティが「家族」である。
そのなかで、様々な立場の存在と触れ合うことで、様々な考え方を学んでいく。
「父」「母」だけでは足りない部分を、周りの人が補ってくれるのだ。
偏ったひとつの考え方を子どもに植え付けるのではなく、色々な考え方があっていいことを子ども自身に知ってもらえるように、様々な役割の人と触れ合う機会を持ちながら子育てができたら、素敵だなと思う。
それぞれの個性で補い合う
また、「父」「母」という肩書を抜いて、その人だから教えられること、というのもあるだろう。
うつ夫だったらうつ夫の教えられること、パニコだったらパニコの教えられること。
そういった、その人の持つ個性や得意なことも大切にしながら、子育てに生かせたらいいなと思っている。
あまり、「父だから」「母だから」という所にこだわりすぎると窮屈になってしまいそうなので(汗)、自分たちがそれぞれできることを大切にしつつ、相補的に子育てをしていきたい。
そして、子どもには、できるだけ豊かな心を育んでもらえたら嬉しいものである。