親の呼び方
うつ夫とパニコは、これまで何度か、子どもに自分たちのことを何て呼んでもらおうか、話し合ってきた。
そして、今の時点では、「名前で呼んでもらおう」というふうに考えている。
これは、ちょっとマイナーな考え方なのかもしれない(汗)
日本の多くの家庭では、きっと「お父さん・お母さん」という呼び方が主流だろう。
また、最近では、「パパ・ママ」も増えてきているのかもしれない。
幼児期は、「パパ・ママ」でも、成長課程で「お父さん・お母さん」に変わっていくということもあるだろう。
いずれにしても、これらは肩書きでの呼び方である。
名前で呼ぶのは少数派?
調べてみると、こんなデータを見つけた。
ベネッセ教育情報サイトの調査で、高校生以下の保護者に「親の呼び方」についてアンケートをとったところ、次のような結果になったそうだ。
・パパ・ママ … 39.8%
・お父さん・お母さん … 52.2%
・名前やあだ名 … 3.4%
・その他 … 4.6%
このデータからしても、名前やあだ名で呼ぶのは、圧倒的に少数派であることが分かる(汗)
そんな中、なぜ我が家は「名前で呼ぶ」ということを選択したのかというと、以前にも少し触れたのだが、「人対人」の関係を大切にしたいからだ。
もちろん、父・母という役割は重要だし、その部分を忘れてはならないけれど、父・母で ある前に、ひとりの人であるという認識も大切だと思うのだ。
肩書きが生み出す上下関係
以前、こんな記事を書いたことがある。
うつ病闘病中の頃、うつ夫は家族と上手くいかなかった時期があった。
当時、うつ夫は末っ子だったこともあり、「家族の中で一番下」という意識が潜在的に刷り込まれてしまっていた。
そのタテの関係性が、知らず知らずうつ夫の心を苦しめてしまっていたのである(汗)
そこで、うつ夫はそれまで肩書きで呼んでいた家族のことを、「名前で呼ぶ」ように変えてみたのである。
それによって、少しずつ、うつ夫の中にあった上下関係の構図が薄れ、家族の関係性が改善していったのだった。
そして、今では、より対等な関係を築くことに成功したのである。
そんな経験もあり、うつ夫とパニコは、「名前で呼ぶ」ということを大切にしたいと思ったのだ。
「父・母とはこういうもの」という固定観念
また、思えば、パニコも子どもの頃、あまり自分の父や母のことを、ひとりの人として見たことがなかった気がする(汗)
「お父さんとはこういうもの」「お母さんとはこういうもの」、そんな固定観念を抱いてしまっていたかもしれない。
そして、親は完璧で正しいものだと思い込んいたように思う(汗)
もし、肩書きでなく名前で呼んでいたら、また違ったかもしれない。
父や母のそれぞれの個性を、もっと重んじることができたのかな?とも思う。
家族間の対等な関係づくりを。
考えてみれば、海外では、家族間で互いに名前で呼び合っていることが多いように思う。
(パニコの勝手なイメージかもしれないが。)
肩書きを大切にするのは、年上の人を敬う日本の古くからの風習なのかもしれない。
だから、親を「名前で呼ぶ」ことは、きっと反対意見も多々あるだろう(汗)
「馴れ馴れしい」「教育上よくない」など、あまり良い印象を持たれないことも想像できる。
もちろん、メリットデメリットはあるだろうし、結局は、子ども自身が呼び方を選ぶのであって、うつ夫とパニコの思うようにはいかないかもしれない。
それならそれで構わない。
ただ、家族であっても「人対人」であること、対等な関係であること、そういう考え方も幼いうちから伝えていけたらいいな、そう思うのだ。
それぞれの役割は大切だけれど、肩書きに惑わされて、本質を見失ってしまわないために、「名前で呼ぶ」というのは、一つの手段として有効なのではないかと感じている。