久しぶりにブログを開いた。
いつのまにやら、もう今年も終わろうとしているらしい(汗)
今年も色々あったなぁ。とにかく慌ただしく、時が過ぎてしまった。
我が子は、おかげさまですくすく成長し、ヨチヨチと一人歩きをはじめるほど大きくなった。本当に、子どもの成長ぶりには驚かされる。
しかし、子育てとは本当に大変なものだ(汗)
親デビューして、一年と数ヶ月。
パニコはいつの間にか、心にゆとりが無くなってしまっていたようだ。
今になって、ようやくそれに気づくことができた。
もちろん、子どもは本当に可愛いくて、天使にしか見えないし(笑)、子育てが嫌というわけではない。
しかし、仕事と家事に加え、子育てが始まったことで、これまでの生活リズムが一変した。
とにかく、自分の時間など、ほとんど取れなくなってしまったのだ(汗)
パニコにとって、自分ひとりの時間は、心の整理のために重要だ。
そうと解っていながら、またしても、それを蔑ろにしてしまったのだ。
そのせいで、自分でも気づかぬまま、知らず知らずストレスを溜め込んでいたらしい(汗)
ちょうど、我が子が一歳の誕生日を迎える頃。
我が家に、今年一番のハプニングが起こった。
そう…、うつ夫とパニコは別居することになったのだった!!
きっかけは本当に些細なことである。
詰まるところの原因は、互いに心のゆとりが無くなっていたからだ。
その頃うつ夫は、働くことができない状態が続いていた。
正確に言うと、入社と退社を繰り返していたのだった。
以前の会社で手に怪我を負い、それが完治しない状態になってしまったこともあり、なかなか条件の合う職場が見つからなかった。
また、以前も話したように、うつ夫はコミュニケーションが苦手である。
最近分かったことだが、医師の診断によると、うつ夫はどうやらASD(自閉症スペクトラム)らしい。そんなこともあり、職場でのコミュニーケーションも悩みの種だった。
そうして、就活を繰り返すものの、なかなか落ち着ける就職先が見つからず、うつ夫はうつ夫で、イラ立ちや不安に駆られていたのだろう。
そんな中、パニコは何とかしなくては!という思いから、産後3か月で仕事に復帰し、さらに副業として別の仕事もはじめたのであった。
それに加え、慣れない子育てである(汗)
今思えば、家事や育児はもっと手放して、うつ夫や両親に頼れば良かったのだが、全部ひとりで何とかしようと頑張っていた。(パニコの悪い頑張り癖である。)
自分でも気づかないうちに、ものすごく気を張っていたのだと思う(笑)
と言うのも、パニコはうつ夫に負担を掛けないようにと、常に意識していたのだ。
うつ夫は、ストレスゲージがいっぱいになると、心のコントロールが利かなくなることがある。(これは医学的には衝動性と言い、ASDの特性の一つらしい。)
そういう時、うつ夫は心をシャットダウンし、引きこもり状態になる。
だから、パニコはそれを避けるために、とにかくうつ夫にストレスを与えないようにしなければ…と、いつも、そう思っていた。
育児も家事も、自分ができる時はやろうと、一生懸命だったのだ。
しかし、どうやらそれが逆効果だったようだ(汗)
うつ夫としては、家事や育児をマイペースにすることができれば、負担ではなかったらしい。しかし、パニコがあれこれ手出しをすることで、ペースが崩れ、それが余計にストレスになっていたようだ。そうして、うつ夫は度々シャットダウンし、接触不能になることが増えた。
これは、うつ夫にとっての対処行動なのだ。
そういうことは以前からあったことなので、パニコも気にしないようにしていたのだが、なんといっても仕事と家事と育児で、いっぱいいっぱいの状態である。
パニコも次第に不満をつのらせていった。
そんなこんなで、それまで築いてきた、お互いのペースや距離感が、だんだん崩れ、ある時、ガタッと音を立て、我が家のバランスが一気に崩れてしまったのだった。
うつ夫は自室に引きこもり、パニコは子どもを連れて家を出た。
そして、3か月にわたる別居生活がはじまるのだった(大汗)
人生何があるか分からないものだ。
子どもが産まれる前までは、自分で言うのも何だが(笑)、仲の良い夫婦だったと思う。
互いに、それぞれの時間とペースを尊重し、よい距離感を保てていた。
それが、子育てがはじまった途端、一気に崩れてしまったのだから、そういう意味でも子育ては魔物である(汗)
よく子育てが始まり離婚した夫婦の話を耳にするが、それも分からなくも無いと感じた。
子育てが始まるということは、家庭のバランスが変わるということでもある。
例えば、2人で乗っていたボートにもう一人が乗り込もうとしたら、そのボートは大きく揺れるだろう。
そこで、上手くバランスを取る方法を見つけていければ良いのだが、そうで無ければボートは傾き転覆してしまうかもしれない。
それまでと一緒というわけにはいかなくて、新しいバランスの取り方を探る必要がある。
子育ての始まりは、きっとそんな時期なんだと思う。
危うく、うつ夫とパニコも、バランスを崩しかけたのだが、別居生活をすることで、なんとか持ち直すことができた。
少し距離を置くことで、冷静に状況を見つめ直し、どうすることが必要なのか、考える時間を持つことができた。
多分、あのまま一緒に暮らしていたら、それこそ転覆していただろう(汗)
だからあの時、別居という選択をしたのは、正解だったとパニコは思っている。
「別居」というと、必然的に連想されてしまうのが「離婚」という言葉である(汗)
何となく「別居=(いずれ)離婚」と思われてしまう。
多分、うつ夫とパニコも周りからはそう思われたに違いない。
しかし、私たちの場合、離婚しないための別居だった。
「このままだと離婚になりそうだから、しばらく距離を置こう。」
そういう話合いのもと、3か月の別居生活をすることにした。
お互いに距離が近いとストレスになってしまうなら、別居婚という選択もありだろう。
それに、距離が近すぎると分からなくなってしまうことも、結構あると思う。
だから、離れてみた。
そして、その結果、また一緒に暮らそう、ということになったのだった。
端から見たら、ずいぶん人騒がせな話である(汗)
でも、パニコにとっては必要な時間だったと感じている。
離れている間、本当に色々考えた。
結婚って何だろう?
家族って何だろう?
どうして別居する必要があるのか?
もし離婚したらどうなるのか?
…
そして、お互い何度も話し合った。
そのお陰で、これまで言葉にしていなかった想いや、自分でも気づいていなかった潜在的な気持ちをも確かめることができた。
何がどうすれ違ってしまったのか。
お互いがどんな景色を見ていたのか。
少しずつ解ってくると、どうしたら互いに暮らしやすくなるのかも見えてきた。
それに、やっぱりうつ夫の存在が必要だということも再確認することができた。
このまま別居婚を続けることも、最初は視野に入れていたのだが、逆に別居をしてみることで、一緒に暮らす方法が見えてきたのである。
一般的には、「別居=(いずれ)離婚」という見方かもしれない。
でも、「別居=結婚生活の一つのあり方」という考えがあってもいいのかもしれない。
距離感やバランスを上手く保つための手段になるのなら、悪いことじゃない。
自分たちの経験を通じて、そんな風にも感じた。
それからもう一つ、うつ夫がASDだと判明したことも、パニコにとっては良かったことだ。
病名がついたからといって、直接何か変わるわけでは無いが、何となくスッキリしたというのが正直なところである。(この辺の話は、長くなりそうなので、また別の機会に。)
再び同居生活を始めた今、パニコは、家事や育児の任せられる部分を、うつ夫に委ねることにした。そのお陰で、随分と気持ちにゆとりが生まれた。
そして、これからは、できるだけ自分の時間を作っていこうという方針でいる。
パニコは、頑張りだすと上手くいかない(汗)
頑張ってかたくなになった心は、柔軟性に欠け、いつかパンクしてしまう。
大切なのは、自分が頑張りすぎていること、ゆとりが無くなっていることに、気づいてあげることなのだ。そのためには、やっぱり自分ひとりの時間が必要だ。
どんなに忙しくても、自分のための時間をあえてつくること。
それが、今後パニコの課題になりそうだ。
こうして、我が家は再び落ち着きを取り戻し、家族3人で新年を迎えられそうである。
来年も、我が家なりの家族の形を模索しながら、良いバランスの取り方を見つけていきたいと思っている。
人生色々ありますが(笑)、本年もありがとうございました。
どうぞみなさんも、良いお年をお迎えください。